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看護部長・看護副部長の“プライベート”の顔

海老名総合病院看護部を支える看護部長、看護副部長。
「厳しそう」・・・などのイメージをお持ちの方が多いのではないでしょうか。
確かに仕事に対して厳しい面もありますが、もちろんいつも厳しい訳ではありません。
皆さんに知られていない“プライベート”の顔、特別にお見せします!

看護部長

看護部長の写真

看護部長の写真

幼いころに憧れていた職業を教えてください

小学生の時は「学校の先生」、中学生からは「漫画家」を目指していました。
3歳のころ、父親の入院先の看護師詰所(ナースステーションのこと)にスカートを広げて注射薬の空箱をもらいに行く、休み時間には看護師さんたちと一緒にバレーボールのコートの中に入って遊ぶのが日課だったようで、記憶のかなたでは「看護師への道」を歩んでいたのかもしれません。

小学生の時は「学校の先生」、中学生からは「漫画家」を目指していました。
3歳のころ、父親の入院先の看護師詰所(ナースステーションのこと)にスカートを広げて注射薬の空箱をもらいに行く、休み時間には看護師さんたちと一緒にバレーボールのコートの中に入って遊ぶのが日課だったようで、記憶のかなたでは「看護師への道」を歩んでいたのかもしれません。

看護師として今までどのような経験を積んできましたか?

高校卒業時まで本気で漫画家を目指していましたが、この職業では「食べていけない」と思いを断念。
知人の勧めで仕方なく(!)准看護師学校への進学を選びました。そこから、素晴らしい教員や先輩方との出会いがあり、本格的に看護師を目指しました。

看護師としてのスタートは長崎県の田舎の医院。診察介助から薬の調合、会計、保険診療請求等、何でも実践しました。看護師学校在学中と卒後2年間は、50床の病院で消化器(内科・外科)を学びました。そこでの脳神経系、不整脈がわからず患者さんを救えなかった体験から大学病院へ転職しようと思い、上京を決意しました。

大学病院の面接で配属希望を聞かれた際には第1から第3まで「循環器」と答えました。その熱意が伝わったのか、晴れて循環器内科、腎臓内科を主とした病棟へ配属されました。

その後、大学病院では心臓血管外科、血管外科、血液内科、糖尿病内科などを経験しました。
循環器は通算15年。学習熱心な集団の中で育ちました(カンファレンスではお互い持論を譲らず、看護について熱い戦いをする、そんな病棟環境でした)。循環器看護の醍醐味は看護師の観察力で患者救命が可能な時(こと)もあり、今でも好きな分野です。

臨床指導者として学生と関わっていた時に、循環器の患者さんの「疾患を抱えて地域で生活する、そんな環境があるといいのに…」というつぶやきで「循環器の訪問看護施設をつくりたい!」と真剣に思ったこと、心臓の働きが正常な人の半分以下の患者さん達と“人生について、生きることについて”語り合ったこと等など、今でも鮮明に覚えています。

お茶

皆に知られていない「趣味」を教えてください

皆に知られていない「趣味」を教えてください

お茶

裏千家茶道(茶名 宋了)を25年間習っています。
茶道は奥が深く四季を感じる小宇宙。お稽古、習いごとと言います。
茶道は一期一会を大事に「一椀に込めた一服のお茶」を楽しんでいただくために心を砕きます。

裏千家茶道(茶名 宋了)を25年間習っています。
茶道は奥が深く四季を感じる小宇宙。お稽古、習いごとと言います。
茶道は一期一会を大事に「一椀に込めた一服のお茶」を楽しんでいただくために心を砕きます。

プライベートの目標を教えてください

ずばり「お遍路の旅」。
坂東33か所は終わり、次は四国88か所。
西国を入れて100か所を巡りたい!!「健脚なうちに四国を巡る」を目標にしています。

こんなひと

こんなひと

副部長の写真

まずは、「オチャメでカワイイ人」です。

次に、茶道を通じて着物、華道など日本文化を愛する美しい女性ですね。
その一方、宴会芸も手をぬかない…才色兼美なのです。

どんな状況でも自分も楽しみ、人を楽しませる「お・も・て・な・し」の心と知恵をもつ女性ですねぇ。

看護副部長

看護副部長の写真

看護副部長の写真

幼い頃に憧れていた職業を教えてください

「学校の教員」が身内にいたこともあって、将来の職業として意識しましたが、実はあまり小さい子どもが得意ではなかったため、断念。
その後「スチュワーデス(今でいうキャビンアテンダント)」に憧れました。しかし、スチュワーデスには「身長制限160cm」という大きな壁があることが発覚し、泣く泣く断念しました。(7cm足りなかった…!!)

「学校の教員」が身内にいたこともあって、将来の職業として意識しましたが、実はあまり小さい子どもが得意ではなかったため、断念。
その後「スチュワーデス(今でいうキャビンアテンダント)」に憧れました。しかし、スチュワーデスには「身長制限160cm」という大きな壁があることが発覚し、泣く泣く断念しました。(7cm足りなかった…!!)

幼稚園の頃から、近所のクリニックにお邪魔しては受付カウンターに座らせてもらっていたこと、「キャンディキャンディ」の漫画(※看護師さんになるお話)を読んでアンソニーに憧れていたことなどが、今のわたしの仕事を目指す「きっかけ」になっているかもしれません(笑)

幼稚園の頃から、近所のクリニックにお邪魔しては受付カウンターに座らせてもらっていたこと、「キャンディキャンディ」の漫画(※看護師さんになるお話)を読んでアンソニーに憧れていたことなどが、今のわたしの仕事を目指す「きっかけ」になっているかもしれません(笑)

看護師として今までどのような経験を積んできましたか?

整形外科1年、消化器外科・ICU4年、看護短期大学助手5年、訪問看護・クリニック開業5年、がん化学療法外来4年、以降は看護管理者として8年…です。 

看護学校卒業後に就職を決めたポイントは、「銀座に通える…勉強できる病院」でした。
やや動機が不純ですが、ともかく新人時代がスタートしました。80床ワンフロアの病棟(4チーム編成)に、新人15人が配属されました。あまりの新人の多さに、先輩たちは昼も夜もてんてこ舞い…だった記憶があります。新しいことを勉強したら、新人同士で教え合うノートと掲示板をつくり、自活して勉強しないと取り残されそうな状況だったことを鮮明に覚えています。そのころから、行動的でイニシアティブをとる私は「誰も脱落しない…」を合言葉に、アレコレ資料を作成しては学習会、食事会を開催して親交を深めていました。先輩にも甘え上手だったと思います。

看護の臨床経験では、「がんと共に生きる患者さん・家族をいかに支えていくか」を考えながら、看護に携わってきました。
臨床現場の看護師ひとり一人が「患者・家族に寄り添い、支える看護を提供できるか」、そのためにお互いが支え合いながら成長できる看護部を創るために、看護管理者、看護副部長として、自分に何ができるか・必要とされているかを考え、成長しています。今後の成長もお楽しみに…。

皆には知られていない「隠れた才能」を教えてください

「紅茶のインストラクター」の資格を持っています。紅茶について詳しく、美味しく入れる才能があります。

ついつい集めてしまうもの、コレクションはありますか?

ついつい集めてしまうもの、コレクションはありますか?

ハンドクリーム

ハンドクリーム

「紅茶」が大好きで、自宅の食器棚にはティーカップコレクションがいっぱいです。

最近こだわっているものは「ハンドクリーム」です。現在職場では感染管理上、手洗いを頻繁に行いますので徐々に手の脂が無くなりつつあります。そこで「癒し」と「保護」のためにハンドクリームをコレクションしています。気分や手のカサカサ度に応じて、5種類を使い分けて楽しみながらお手入れしています。

皆さんの手や心がカサカサしていたら私に声をかけてくださいね!
ハンドクリームの香りとマッサージで「カサカサ」を潤しますよ。お待ちしています。

こんなひと

こんなひと

副部長の写真

とても美しく、そして上品な“お嬢様”それが第一印象です。アロマセラピーやお香にも詳しく、素敵で憧れる生活です。
またわんちゃんが大好きな恩田さん。愛犬の写真を見せてもらうときには目じりがつい緩みます。

そんな優雅な一面を持ちながらも、視野広くかつ抜かりない仕事ぶり。
“知らないことはないんじゃないか”というくらい、さまざまな知識や知見をお持ちです。

看護部全体にはもちろん教育研修にもいつもさまざまな視点からの助言、わたしの学びも支えてくださる“エレガント+タフネス“
それが恩田副部長です。

看護副部長

看護副部長の写真

看護副部長の写真

幼い頃に憧れていた職業を教えてください 

父が獣医師でしたので、父は獣医の道を目指してほしかったようですが、一切動物には興味なし(笑)。
しかし、漠然と医療職には憧れがありました。小学生のころは「薬剤師」、中学生では「臨床検査技師」、いよいよ高校生で進路選択を迫られたときは、物理や化学が好きだったこともあり、3年ぎりぎりまで医療職とは異なる「高分子化学の研究職」になりたかったです。まったく、看護職、出てこないですね、不思議なものです(笑)。

父が獣医師でしたので、父は獣医の道を目指してほしかったようですが、一切動物には興味なし(笑)。
しかし、漠然と医療職には憧れがありました。小学生のころは「薬剤師」、中学生では「臨床検査技師」、いよいよ高校生で進路選択を迫られたときは、物理や化学が好きだったこともあり、3年ぎりぎりまで医療職とは異なる「高分子化学の研究職」になりたかったです。まったく、看護職、出てこないですね、不思議なものです(笑)。

看護師として今までどのような経験を積んできましたか?

さかのぼること1988年。看護師としての出発は、循環器内科・腎臓内科の病棟です。

大学時代の卒業論文と同じテーマで臨床での看護研究を実践しておられた看護師長さんとともに、一緒に研究を学びたかったので、青森から神奈川の大学病院まで“上京”しました。研究のメンバーに加えてもらい、急性心筋梗塞の患者さんの日常生活に関する介入研究を学びました。看護ケアのエビデンスが明らかになる過程を先輩たちと楽しみました。

次に、血液内科と糖尿病内科の病棟です。血液内科はがんターミナルケアの実践がとても興味深かったです。
血液内科では、一人の高校生の初発の白血病の患者さんを入院から退院まで受け持ちました。自分と同年代のがん患者さん。患者さんはもちろんお母様とも一緒に悩みながら、家族単位でケアをすることの大切さを学びました。私の家族看護への興味の出発点であるかもしれません。この患者さんは、今では一児のママ。1〜2年に1度、血液内科で仲良くなった患者さん方と“女子会”をしています。もう、20年くらいのお付き合いになります。こんな関係性を築けるのも人を支える看護の魅力です。

その後、20代後半〜30代半ばまで看護大学の教員として、看護学生への実習指導や講義などの看護師の基礎教育にもかかわりました。「患者さんに寄り添える看護師になりたい」「患者さん中心の看護を実現する」という学生の熱い思いを受け止めながら、自分の看護を見つめ直していました。教員をやってうれしいこと、それは教え子の活躍。沢山の元学生が看護管理職や認定看護師など、一線で活躍しています。お互いすでにいい歳になって(笑)いますが、会えば「竹村先生」「○○さん」とすぐに当時の気持ちに戻ることができます。

30代半ばには、家族看護学の大学院に進み、専門看護師の道を目指しました。
大学院での学びは、臨床はもちろん、現在の教育担当としての役割の基礎にもなっています。大学院修了後は、多くの同級生が大学教員に戻るなか、「援助しなければならない家族のいる臨床に戻る」という意志を貫き、外来看護の場へ飛び込みました。家族の相談者が少なくなる在宅と外来、そして病棟の継続看護を考える機会になりました。

当法人へは、2005年に転職しました。大学病院での看護研究の先輩が看護部長の坂元さんでした。「また一緒に循環器の看護、やれないかなあ。」と声をかけていただき、二つ返事でお引き受けしました。

治療や研究を中心とする大学病院、看護師を育成する看護大学、継続看護を考える外来看護、大学院、そして地域医療を支える急性期病院。さまざまな看護の体験と人との出会いが「私」を創っています。

趣味を教えてください

スポーツ観戦。球技全般はどのスポーツでも大好きです。
特に、野球は高校野球もプロ野球も大好きです。県予選から応援し甲子園まで応援に駆けつけます。

憧れは、スポーツバーに行って見知らぬサポーター達との応援。ほっぺたにペイント・・・、してみたいです。

休日の過ごし方を教えてください

上野あたりの美術館めぐり、中国・日本などのアジアの美術が好きです。
一人で一日ずっと居ても全く飽きません。自分は美術センスがゼロだからこそ、絵画や塑像の才能がある先人を尊敬しています。

こんなひと

こんなひと

副部長の写真

以前働いていた大学病院で先輩・後輩の仲でした。新人時代は良く先輩に向かって意見することもありました(笑)。

あまりへこたれない性格の持ち主。でも昔は注意されると、泣くこともあったんですよ(笑)。

興味関心が向かうととことん追求するタイプ。

準夜が終わって夜中に相模原から車を走らせ、築地市場まで「お寿司を食べに行く」行動派でした。
当時、彼女が「伊勢丹のアンデルセンでパンを買う生活は捨てたくない!」と言っていたのを覚えています。